セクマイで闇を抱える人、抱えない人

セクマイで悩んでいる人って本当に多い。
そうでなくても悩んでいる人も多いし、なんとも言えない。
けども、今回大失恋をして色々自分について考えた時少し自分の答えが見えてきました。

自分のセクマイについて。


レズである自分は ほんの小さな一部であって
それ以外の要素はたくさんあるということを忘れないでいたいと思っています。
それがこのブログの題名の由来でもあります。

レズ以外といえば
・繊細
・専門的な仕事をしている
・音楽が大好き
・母子家庭
・外国生まれ

などなど
まあ、色々なレズ意外な要素ってあるはずで。
レズなんてちっぽけな一部であると、そう思いたい。んです。
でも、実際には思えていないんですよね。

私はレズという自分のマイノリティに対して大きな大きなコンプレックスを抱いています。
それが何故なのか。考えていました。

だって、周りにはまるで明るく前向きに生きているレズもたくさんいる。
何が違うの!?

1つは単純に性格。

私はおそらく元の性格的に人目をすごく気にするし
どう思われているかを過剰に気にしてきた。
特に母親に対して、気に入られたい、褒められたいという気持ちは大きかったです。
それが恥ずかしいことに今だにあるんですよね。
途中で多分気がついて自分から距離を取るようになりました。
それは母親のアドバイス通りに人生生きていると、自分の満足度が低かったり、全然うまくいかないから。
いくら親子でも、大好きでも、自分と母は違う。
このまま一緒にいたら私は自分が壊れると思って離れた。
多分それは正解。

でも、今だに
「これをすると母が悲しむかな」
とかそんなことを考えてしまう。
それくらいに母子家庭で母と二人きりの時間が長かった私にとっては彼女の存在は良くも悪くも偉大すぎた。
もちろん、感謝はしています。
彼女のおかげでここまで生きて来られてるし、今の職にたどり着けたのも彼女のおかげ。
自立できているのも母のおかげです。

でも、もうそろそろいいんじゃない?

って自分で思うわけです。

『私は何かしたいの?何をしたら嬉しいの?』

もうそれ自体がわからないんです。
人の軸で生きてきた証拠なんでしょうね。
何をしても虚しく、楽しくない。
これは鬱という意味ではなくて、もう生まれてこのかたずっとそうです。

自分にとって一番大事なことは
人に嫌われないこと、嫌な顔されないこと。
大事な人を安心させること。

そればっかだった。
もしも、誰かに嫌われるようなことがあったなら
もう、傷ついて傷ついてどうしようもなくなっていた。

セクマイもそう。
きっと人から変に思われる。
母から嫌われる。

それをずっと考えていました。

やっと大人になって母にカムして受け入れてくれて嬉しかったけど
そこからオープンにする勇気もなくて、やはり母は

「人には言わなくていい」

って言われて、私もそう思った。
わざわざ人に言うことではない。
自分のセクなんて。

でも、今思うのは別に隠すことでもなかったって。
私もとの性格的に秘めているのは苦手なのかもしれない。
でも、ずっと秘めてきた。
男性を好きなフリをしていた。

それが結果的に自分を苦しめているんじゃないかって思っています。
勝手に自分の闇になっているんじゃないかって。

周りには当たり前に隠さないで生きている人がいる。
たくさん嫌な思いもしてるでしょう。
でも、清々しくて堂々としてる。
抱え込んでいないんです。セクについて。
悩むことはあっても、闇ではない。

それも性格によりけりでしょうけど。
私は本来オープンに生きていくべきだったのかもしれない。

あなたはあなた
それでも愛しているし、見守っている

っていう感覚を満たすことなくここまできたのかもしれない。
これも性格によります、多分。
気にしない人は気にしない。
私は人目がきになるからね、ダメでしたね。
せめて今からオープンに生きていきたい。
けど、勇気はまだないけど、希望です。

もっと自分軸で生きていこう。

そう思わせてくれる出来事がこれだけ起こっているわけだから
恋愛だって、もっと自分軸で。

「幸せになってね」

なんて人の幸せを願っている自分がちょっとかっこいいとか思ってたけど
そんなこと思わなくていい。
自分の幸せを堂々と願えばいいのだよ、きっと。