生きる目標がない

先日同業者に

「この世界での目標はありますか?」


と。
わたしの一番嫌いな質問。 

なぜなら、わたしには夢も希望もない。

この話を誰にしても理解はされない。

夢なんてなくていい、目標なんてなくていい。
今こうして生きてるだけでいい。

本気でそう思っている人はほとんどいない。

「夢のために一生懸命頑張っている人が好き」

と多くの人はいう。

私が
「夢も希望もありません」

というと、誰もが微妙な表情を浮かべる。
そのセリフで一気に魅力のない人になる。

私にはどうも人生における夢や希望を自分の中に落とし込むことができない
一つ心からの目標をあげるなら
死ぬときに、覚悟を決めて死にたい
それだけ


30代はこれでも自分のやりたいことを見つけようと
身に合わない努力をした

苦手なものと向き合い
目標をたてて
それに向かって努力をし
達成したら満足する

それを小さなものから、そこそこ大きなものまでやってきた
そして残ったのは

「で?」

っていう思い
確かに苦手なものは克服できた
それは良かった
でもだからって幸せなわけではない

むしろ、向き合わずともそれなりに生きてこれたんじゃないか
と思ってしまう

なぜもっと自然に生きてはいけないのか
いや、誰もダメなんて言ってない
ただ、私が勝手に人目を気にしてきただけ
見栄や、世間体を気にして頑張ってるふりをしていた

守るべき存在がいない
配偶者、子供
だからなのか?

いや、それは分からないがそれも違う気がする

とにかく、何もやりたくない
出世したいわけでもなく
マニアックな存在になりたいわけでもなく
何が何でも恋を叶えたいわけでもなく
趣味を充実させたいわけでもない
転職したいわけでもなく
長生きしたいわけでもなく

とにかく、何も強くやりたいことがない
良く言えばどれもそこそこやりたいけど
そこには強い意志がない
だから困難が現れるとすぐに逃げたくなる

ある人には

「あなたは頑張っているけど、頑張っていると言いふらして失敗したときが怖いから
頑張ってないふりして成功するのが好きなんでしょ」

と言われた。
格好付けの私なので一瞬そうかと思ったけど
それは違う。

私が言いたいのはそういうことではなくで
本心から、強くやりたいことがない
と、そういうことなのだ

今まで小さな目標を立てて
達成して何が得られたのか

ひとときの小さな喜び、自己満足
確かに昔に比べると強くはなった
昔より自分に自信がついたからだ

私の当時の大きな目標は

自分を愛することができる人になる

だった。

自分を自分が愛せれば、誰の愛がなくても
強く生きていける
依存しないで生きていけると思った
自分を愛せて初めて人も愛せるのだと

そして頑張った
やりたくないこともたくさんやって
鬱にも似たような状態になったりして

そして見つけた愛

それも失った途端、本当の愛ではないと気がついた
私の大きな目標は
約7年もかけた大きなプロジェクトだったのに
尚且つ彼女と付き合っていた期間も含めると10年に渡るプロジェクトだったのに
なのに、私はその人のことも愛せず憎んだ


なんだ、こんなに頑張っても何も手に入らない


これが今の私の気持ち。
でも誰にも言えない。

人がなんていうのかを試すように軽く言ってみる
それが

「夢も希望もない」

という言葉になる

人は色々という


「その時にいたい人といればいい」

恋するかわい子ちゃんが言った言葉(笑

一見深いが頭に入ってこない
なぜなら人といることも別に望んでいないから

もちろん孤独も望んでいない
でも、私には誰かに対する強い思いもない

一緒にいたい人なんていない。
好きな人とは一緒にいたいけど
それは今叶わない。

本当に好きかどうか
愛せるかどうか

分からない


「夢や希望がなくてもいいじゃん。そのうち絶対いい人が見つかる」

この言葉は最悪。
その人がわたしを思って言うならなおさら最悪。
そしてノンケならもっともっと最悪。

わたしが男を愛せたならきっと結婚して子供も割大きい頃。
でも無理。
レズはいいとしても、人のことを簡単に好きになれないから
恋がなかなか訪れず、しかもノンケばかり好きになって
それはどう考えてもコントロールできない。

多分もっと広く好きになれたら話は別だろうに
レズで言うと、相手のことを色目で見てるあの感じが嫌い。

女性がガツガツくる感じも引いてしまうし

良く言えば、自分がハンターでないと嫌。
なのに、いまは狩人どころか銃を構える事もなく
諦めている

恋を楽しもうなんて気になれない

でも寂しい


まあ。最悪だね。


とにかくね、夢や希望がない

誰かそれに対して答えをくれないかな
満足のいく答え

自分で見つけるしかないけどね